Powered By Blogger

2023/08/27

渋谷組二輪会 第37弾プロジェクト(最終回)の活動レポートと収支報告(2023年8月19日~20日)及び今後の活動について。

はじめに。
丸10年以上もの長き渡り、渋谷組二輪会の支援活動にあたたかいご支援、ご協力を頂きありがとうございました。
2011年4月の第1弾東日本大震災支援活動プロジェクト当初より、お互い顔が見える直接支援、支援対象は子どもたち中心とし、『子どもたちを笑顔にしよう!』のスローガンのもと、継続的に活動してきた渋谷組二輪会ですが、2019年11月の第36弾PJ 渋谷組二輪会 第36弾プロジェクト活動レポートと収支報告(2019年11月23日~24日) での活動を最後にコロナ禍による感染症対策のため4年弱もの間、活動休止を余儀なくされていました。
今回はコロナウイルス感染症がインフルエンザ等と同等の5類に移行したことでようやく活動を再開しました。
                                              活動の再開にあたっては我々の東北での活動も十年一区切り、被災された方たちが仮設住宅から徐々に復興住宅へと転居されていく中で、新しいコミュニティ作りの一助としての我々の役目はある程度果たされたと考えました。本来ならば2020年の4月に予定していた第37弾PJの活動をもって一旦東北での支援活動の終了を考えていましたが、予想以上に長引いたコロナ禍のため活動を再開出来ずこの度の活動再開となりました。

先日の活動概要にてお知らせした通り、今回の第37弾PJの活動をもて一旦渋谷組二輪会の東北支援活動は終了としますことをご報告致します。

2011年4月の第1弾東日本大震災支援活動以来、本当に大勢のみなさんからご支援とご協力があり、長きに渡り継続的に活動することが出来ました。
プロジェクト回数は東北(千葉県旭市での2回の活動を含む)37回、熊本で5回、頂いた支援金の累計額11,750,580円にもなりました。
改めて、長きに渡り我々渋谷組二輪会の支援活動の趣旨にご賛同頂き、多くのご支援、ご協力、ご参加頂いたみなさま方、そして毎プロジェクトごと現地行きをしてくれた渋谷組実動部隊のみなさんに深く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。


それでは活動レポートの前に今回みなさんから頂いた支援品です。

2011年10月以来毎回手作りの支援品を頂いている、チームDEARS 藤村せりかさん方から、手作りの髪飾りやビーズの指輪、老人ホームの入居者のみなさんへは手作りのお手玉ほか、支援品を100個以上頂きました。
可愛いお手玉は入居者のみなさんのリハビリにかなり使えそうだと、いずみの郷代表の方が仰っていました。
毎回、毎回、ひとつひとつ心のこもった手作りの支援品を頂きありがとうございました。

チームDEARS 管理人 藤村せりかさんのブログ
https://ameblo.jp/ychachamaruf/




大阪府の中植さんからはミニ縁日パチンコゲームの景品用に『うまい棒つかみ取りセット』を頂きました。一体何本入っていたのでしょうか、何百本も入っていたため子どもたちの小さな手ではあまり多くをつかみきれず、ミニ縁日終盤の方では蓋を開けて両手でつかみ取りをさせました(笑)最後は肘まで使って取ってとルール変更し、10本以上つかみ取ることが出来ていました(大笑)
中植さん、今回はゲーム性のある楽しいお菓子のつかみ取りセット、そして過去何度もお菓子のご支援を頂きありがとうございました。




東京都の小原さんからはミニ縁日パチンコゲームの景品用にと、ミッキー、ミニーのぬいぐるみやトートバック、ポーチや文具などのディズニーグッズを100点以上を頂きました。しかしながらミニ縁日開始前に景品台に並べられたグッズの写真を撮り忘れてしまい、開始から15分後に撮影したもののご覧の通り景品台の上はスカスカ状態になっていました。開始前から子どもたちの目は豪華なディズニーグッズたちに釘付けだったようで人気の高さが身に染みてわかりました(笑)
小原さん、豪華景品の数々ありがとうございました。





老人ホームでの振舞い寿司丼用の本鮪は築地から豊洲市場へ移転した マグロ仲卸の樋長さんからのご支援です。今回も美味しそうな本鮪を5kg以上頂きました。
銀座の一流鮨屋では1カン数千円もする高級鮪です。
いつも高級鮪を長きに渡りご支援頂き、本当にありがとうございました。

豊洲市場 樋長さんのホームページ




そして銀座 鮨 きよ本の清本親方、食材の準備や仕込み、そして石巻へ出発当日は早朝5時からの最終仕上げまで、老人ホームに訪問するたび後方支援頂いた鮨職人の石田さん。
長きに渡りご支援、ご協力を頂きありがとうございました。




ミニ縁日の準備中には我々が幾度となく訪問してきた、東松島市矢本運動公園仮設住宅の自治会長をされ、その後は同市内で580世帯もの集団移転地区のまちづくり協議会をまとめ、大規模な集団移転の取り組み事例として各方面メディアでも取り上げられている、東松島市復興住宅団地のあおい地区。現在はこのあおい地区会長をされている小野竹一さんが差し入れのジュースを持ってきてくれました。東松島市在住の小野さんが突然来訪し驚いた私ですが、なんと数年前からこの日ミニ縁日を開催した広渕保育所の理事もされていると聞き、二度驚かされました。小野さんのバイタリティーには敵いませんね(笑)写真はミニ縁日準備中だったため撮ってなく、数年前に小野さんが東京へ来られた時に一緒に撮った写真を。小野さん、冷たいジュースありがとうございました。またこちらで美味しいものを食べましょう!

あおい地区のまちづくりの様子が良くわかる資料です。





それでは2日間の活動レポートです。
初日8月19日(土)の1ヶ所目は石巻市広渕保育所でミニ縁日を開催しました。

2011年7月に宮城県気仙沼市で開催した第3弾プロジェクトより今回までの告知用ポスターは、渋谷組発足当初からの古参メンバーでグラフィックデザイナーである溝部雅一さんがボランティアで作成してくれました。溝部さん長きに渡りありがとうございました。


当日は曇り予報だったもののミニ縁日開催中はずっと晴天の酷暑で、4年近くブランクのある我々は暑さでふらふらになりましたが、保育所のみなさんにもお手伝いをお願いしてご参加頂き、ミニ縁日開始時間の30分ほど前には準備が完了。

2019年の4月の第34弾PJの際にご縁を頂いた、元宮城県地方振興事務所コミュニティ支援員の佐々木さんには、今回も南三陸から移住された方が多くお住まいの須江地区近隣の保育所、小学校へのポスター配布や告知をお願いしました。今回はお孫さんと一緒に参加、お手伝いをして頂き、差し入れでキュウリの浅漬けまで頂きました。ありがとうございました。




さあ開始時間の14時になりました。渋谷組を代表して私からのご挨拶と、パチンコゲームやスーパーボールすくいの遊び方の説明をして、いよいよミニ縁日のスタートです。
毎回のことですが開始早々パチンコゲームの大当りで園庭中に子どもたち歓声が響き渡っていました。スーパーボールすくいでは3張り出したプールに大勢の子どもたちが群がり、かき氷屋さんには行列が出来ました。






パチンコゲームの景品台には子どもたちがたくさんで大賑わい。
この場所は保育所の先生方にお願いをしてお任せしていましたが、子どもたちへの対応で終始大変な忙しさでした。


今回は久しぶりにオリジナルの特大パチンコゲーム機のほか、2台のミニパチンコゲーム機と合わせ、計3台を出してたくさんの子どもたちに対応しました。2台のミニパチンコゲーム機は2016年4月に発生した熊本地震が製作のきっかけで、同年5月熊本地震プロジェクト活動レポートと収支報告(2016年5月7日~8日)に県内の避難所数か所へ支援物資を直接届ける活動に続き、7月熊本地震支援活動 第2弾PJ 活動レポートと収支報告(2016年7月16日~17日)には再訪して健軍東小学校ほか3ヶ所でミニ縁日を開催。東北での活動とは異なり、直接小学校へ訪問する形となり、在校児童数を聞くと400名前後と大変な児童数でした。当然1台のパチンコゲーム機では対応しきれなくなるので、急遽東京都在住の清野正幸さんに2台のミニパチンコゲーム機を作ってもらいました。素晴らしい出来栄えで登場から7年経っても立派に稼働していました。その節は無理なお願いを聞いて頂きありがとうございました。

1枚目の写真は完成前の調整で子どもたちに試し打ちをさせている清野さん。景品が無いと盛り上がらないだろうと駄菓子をたくさん買ってきてくれました。
2枚目は完成後熊本の小学校で活躍する2台のミニパチンコゲーム機。熊本競輪の熊本支部長の松尾さんや、この活動後に発病し急逝された熊本県八代市出身で青山 寿司屋のくま川の河野大将の姿も。大将とは私が30代半ばからの長いお付き合いだったので悲しく非常に残念でした。




それではパチンコゲームで大当りが出て、ピースサインをする子どもたちの笑顔です。
いつもながら子どもたちの笑顔にはたくさん元気をもらえます。
途中からあまりにも子どもたちの人数が多く、私ひとりではまったく撮り切れませんでした。撮影できなかったみんな本当にごめんなさい(苦笑)






今回のかき氷屋さんはイチゴ、レモン、コーラと人気のラムネ味の4種類を用意しました。
この日はとても暑かったから日陰で食べても涼めなかったかもしれませんね(笑)


最後の最後まで子どもたちがポイを持って夢中になっていたオモチャすくいは、約2,700個ほどのスーパーボール等を用意しましたが1つ残らずすくい取られ、プールの中は綺麗になりました(笑)


14時開始、15時30分終了の予定で開催した広渕保育所でのミニ縁日でしたが、開始から40分ほど経ったころにはパチンコゲームの景品がほぼ無くなり、1時間経つころには2,700個ほど用意したスーパーボールもほぼ空になるほど大盛況で、本当にあっという間の楽しい時間でした。

最後は佐藤先生をはじめとする保育所の先生方たちと佐々木さん、我々参加した実動部隊全員で恒例の記念撮影です。


東北でのミニ縁日開催最後となる今回は広渕保育所の子どもたちをはじめ、近隣の子どもたちがたくさん遊びに来てくれて、約4年振りに石巻の子どもたちと楽しく遊ぶことが出来ました。
保育所のみなさん、佐々木さん、暑い中で最後までお手伝いして頂きありがとうございました。


広渕保育所での活動を終え、次に訪問したのは石巻市に隣接する東松島市の老人ホームいずみの郷。
ホームには16時30分ごろ到着予定の連絡をしていましたが、予定通り到着しホールに向かうとすでに入居者のみなさんがずらりと着席していて、大急ぎで振舞い寿司丼の準備に取り掛かりました。前述の通り、銀座 鮨 きよ本の清本親方と豊洲市場 マグロ仲卸 樋長さんの長年のご厚意で、いずみの郷のみなさんに鮨 きよ本特製の寿司丼を召し上がって頂くことが出来ました。改めて御礼申し上げます。もちろん毎回50人前以上の寿司丼の仕込みをしてくれている石田さんにも感謝です。

盛り付けはいずみの郷のみなさん総出でお手伝いをして頂き、美味しそうに寿司丼の盛り付けが出来て、いよいよみなさんが楽しみにしていた寿司丼の配膳です。
みなさん、本当に美味しい、美味しいと言ってくれて我々もうれしくなりました。
中にはもうお腹がいっぱいだけど美味しいからマグロと穴子のお替りが欲しいと言って、更に召し上がる方たちもいて微笑ましかったです(笑)





美味しい寿司丼をたくさん食べて頂き、お別れの時間となりました。
いずみの郷代表からホームのみなさんに10年に渡り渋谷組の訪問を受けてきましたが、この寿司丼が食べられるのも今日が最後となりますと説明をしたところ、「えーっ、もう食べられないの?」、「また食べたい!」等々、我々にとっては最高の褒め言葉をみなさんから頂きました。

お別れの前にみなさんと記念写真を撮り、ホームを代表しておばあちゃんからはお礼のお言葉とお土産まで頂きました。ありがとうございました。最後はみなさんが手を振って我々を見送ってくれました。





いずみの郷 代表の志摩さんをはじめヘルパーのみなさん。
本当に長い間我々の訪問を快く受け入れて頂きありがとうございました。
そして現在入居されているみなさん。
どうぞいつまでもお元気で長生きをして下さい。
ありがとうございました!

こうして初日は2ヶ所での活動を無事に終了することが出来ました。


2日目はミニ縁日等の活動は控え、コロナ禍中の2021年7月に震災遺構として整備され公開された大川小学校、大川震災伝承館、最後は北上川河口の内湾長面浦がある長面・尾の崎地区を訪問してきました。

4年振りの訪問なので震災遺構となって綺麗に整備された大川小学校を見るのは初めてでした。火気厳禁のためお線香は上げられませんでしたが、慰霊碑に二輪会の参加出来なかったメンバー宮崎謁子さん、鈴木直美さんから別途供花代ご支援を頂き、慰霊碑献花台に献花することが出来ました。ありがとうございました。


大川震災伝承館では今まで度々拝見してきた、津波で失われた街を模型で復元した大川地区の模型や、15時37分で時が止まったままのあの時計等々が展示されていました。

石巻市震災遺構 大川小学校
「失われた街」模型復元プロジェクト

思い返せば2011年6月に3.11から  百ヶ日忌の前週に、初めてこの場所を訪れました。全校児童108名のうち74名(未だ行方不明の児童が4名)もの幼い命と教職員10名が大津波の犠牲になりました。学校監理下では未曽有のことであり、当時初めてこの場所へ訪れた時に受けた衝撃と悲しみは、12年経った今でも鮮明に心に刻まれています。この翌々月には現在まで続くご縁を頂くことになる、大川小学校に通っていたある女の子のお母さんと、この場所で偶然お会いすることになり、10年以上の長きに渡った我々の支援活動は自然と石巻中心となっていきました。
このことは後述します。

『初めて大川小学校に訪れた際のブログ(2011年6月)』

2011年6月の大川小学校の様子。慰霊碑にはたくさんの献花が供えられていたが、その中にある女の子のお母さんが娘に宛てた手紙が埋もれていました。




写真の下段右は2011年11月のお母さんから娘に宛てた手紙。下段左、ふちに描かれた小さな顔はこの場所で大津波にのまれ犠牲になった74名の大川小の子どもたちです。




2011年11月の活動後に訪問した際に見せて頂いた、大津波の犠牲となった児童たちの鎮魂のため、校庭の裏山に植樹された『あすなろの木』は、10年以上の月日が経ち大きく育っていました。3枚目の写真コラージュの左上が大きく立派になった『あすなろの木』です。同行メンバーにあれがあの時のあすなろの木ではと教えてもらい、そうと分かった時は涙が溢れそうになるのを必死に堪え大川小学校をあとにしました。

『あすなろの木の植樹後に初訪問した際のブログ(2011年11月)』




次に向かったのは大川小学校に通っていたある女の子がお父さんとお母さん、そして2歳年上のお兄ちゃんと暮らしていた、北上川河口の内湾長面浦(ながつらうら)がある長面・尾の崎地区へ行きました。大震災後、この地区の方たちが多く住まわれていた石巻市三反走仮設住宅では幾度となく活動をしてきました。

新しく架けられた非常に大きな尾の崎橋を渡った先にある、小さなお稲荷様の脇から浜辺に降りると、大震災前はこの季節多くの海水浴客で賑わっていた長面海水浴場方面へ向かえます。かつては行き止まりとなる長面漁港まで海岸沿いに道路があったそうですが、今は無残に倒れた護岸壁が残り往時の面影は見られませんでした。



ここで、このブログの開始当初から見て頂いているみなさんはよくご存じの、ある女の子のことについてお話ししたいと思います。

女の子の名前は鈴木巴那(はな)ちゃん、3.11当時大川小学校に通う小学4年生で9歳でした。大津波にのまれ12年以上経った今でも行方が分かっていません。同じ大川小学校に通っていたお兄ちゃん、当時小学6年生の堅登(けんと)くんは1週間後に卒業式を控えていましたが、やはり大津波の犠牲となりました。

写真は鈴木家の玄関先に飾られている、絵本『 ひまわりのおか』の中の巴那ちゃんと堅登くん。
絵本『ひまわりのおか』は我が子を亡くしたお母さんたちが、子どもたちが避難しようとめざした場所に、ひまわりを植えはじめた。8人のお母さんたちの、わが子へ宛てた手紙や話をもとにつくられた絵本。ぜひ一度は手に取って頂きたい絵本です。

絵本『ひまわりのおか』



2011年6月に初めて大川小学校へ訪れ、8月に2度目の訪問。この時に大川小学校の慰霊碑の前でご縁を頂いたのが、堅登くんと巴那ちゃん兄妹のお母さんである鈴木実穂さんでした。
その時の様子は下記のブログに書き記してあります。

『宮城ツーリング。大川小学校に再び。』

堅登くんと巴那ちゃんのご両親である鈴木義明さんと実穂さんは、未だ行方不明で見つからぬ巴那ちゃんをあの日からずっと探し続けています。我々がお稲荷様の脇から降り立った砂浜はご両親が現在捜索を続けている浜辺で、この十数年間の捜索活動で手付かずの場所でした。かつてこの砂浜が賑わっていた頃、お弁当を持ってピクニックに出かけて行ってたそうです。
下記リンクの記事には昨年6月から大川震災伝承館に展示されていた、巴那ちゃんのランドセルが記事になっています。我々も鈴木家にお邪魔するたび何度も見てきたこのランドセルは、現在震災遺構となった石巻市門脇小学校に隣接する震災伝承交流施設 MEET門脇 https://311support.com/learn311/meetkadonowakiに展示されています。
来年は短期間でありますが防災体験学習施設 そなエリア東京https://www.tokyorinkai-koen.jp/で展示されるそうです。首都圏の方はこの機会に『巴那ちゃんのランドセル』をご覧頂き何かを感じ取って頂ければと思います。

そして我々が巴那ちゃんランドセルを見るたびに願っていたのは、早くご両親の元へ帰って来て欲しい、この願いのみでした。
前述しましたが学校監理下での事故では、未曾有の犠牲が出た石巻市立旧大川小学校。全校児童108名のうち74名もの幼い命が大津波の犠牲となり、12年経った今でも行方不明の児童が4名もいます。大震災から1年を経過した頃には周辺での大規模捜索も打ち切られ、鈴木夫妻をはじめ行方不明児童の保護者の方たちは自力で捜索活動を続けられてきました。10年以上も大川小学校へ訪問してきた我々一同は、本当に見つかって欲しい、ただこう願い続けます。

記事『行方わからぬ娘のランドセル』

2011年8月の鈴木美穂さんとのご縁もあって、東北での支援活動は行方不明の巴那ちゃんが見つかるまでにしよう、我々メンバー全員同じ思いで活動を継続していましたが、2013年12月に渋谷組二輪会の中心メンバーで幾度となく被災地へ足を運び、被災した方たちに寄り添い活動していた、私と同い年の女性ライダー宮嶋そのみさんが、バイクで単独転倒事故に遭いこの世から旅立ちました。
彼女のことは以前2つのブログに書き記してあります。




そして2015年3月には渋谷組二輪会の重鎮メンバー横尾隆さんが闘病の末、この世を旅立ちました。横尾さんは当会の支援活動のベースとなったミニ縁日のアイデアや、東北各地と熊本の地で毎回大活躍をしてきた特大パチンコゲームを作って頂き、支援活動当初はそれまでボランティア活動や大勢の子どもたちへの接し方もわからない私の良き相談相手でもあり、人生の師匠でした。厳しさの中にもあたたかい心があり、本当に優しく面倒見の良い私の兄貴分でした。

良き相談相手であり、人生の師匠だった横尾さんのことは下記のブログで。





このように我々はわずかの1年少々の間に中心メンバー2人を失い、東北での支援活動終了のタイミングを逸しました。そして行方がわからないままの巴那ちゃんも出てきてくれない日々が続き、現在に至ったというのが本当のところだと思います。

2日間の活動の最後は鈴木堅登くんと鈴木巴那ちゃん兄妹と、大津波の犠牲となってしまった兄妹のおばあちゃんが眠るお墓で慰霊をしてきました。上記の『行方わからぬ娘のランドセル』https://www.nhk.or.jp/sendai-blog/telemasa/473323.htmlで取材を受けている久我真奈美先生からピアノのレッスンを受けていた巴那ちゃん。2人の兄妹に喜んでもらえるようお墓には音符が刻まれています。



レポートがかなり長くなりましたがこうして2日間、東北での最後の活動を無事に終了することが出来ました。
再三申し上げますが、10年以上の長きに渡り我々渋谷組二輪会の支援活動の趣旨にご賛同頂き、多くのご支援、ご協力、ご参加頂いたみなさま方、そして毎プロジェクトごと現地行きをしてくれた渋谷組実動部隊のみなさんに深く御礼申し上げます。
また活動を通じてご縁を頂いた大勢のみなさん。
大変お世話になりました。
本当にありがとうございました!


【  収 支 報 告  】

■収入の部

2019年11月23日~24日で開催した第36弾プロジェクトからの繰越金が53,907円。
今回みなさんからの支援金入金が188,300円。

合計242,207円の収入となりました。


最後まであたたかいご支援を頂きありがとうございました。



■支出の部

●パチンコゲーム用景品一式で48,366円。
●スーパーボール、かき氷用シロップ・容器で49,824円

●かき氷用角氷で7,600円
●献花用花束が5,000円
上記4点玉井立替購入分合計が110,790円

●寿司丼用食材、きよ本石田氏立替え購入分が32,267円
上記振込手数料 330円

支援金入金額が当初の想定以上になったため、大川小学校を中心に活動をされている2団体に支援金として当会から振り込みをしました。
(支援先の団体については下記の各団体のリンクをご参照下さい)
●Team大川 未来を拓くネットワークへ10,000円
上記振込手数料 165円
●小さな命の意味を考える会へ10,000円
上記振込手数料 165円

支出合計は163,717円となり、繰越金(余剰金)は78,490円となりました。
繰越金(余剰金)の今後の使途については後ほどお話しさせて頂きます。

Team大川 未来を拓くネットワーク
代表は只野哲也さん。大震災当時小学5年生。大川小学校で被災するも奇跡的に助かり、大川に再び子どもの笑顔があふれるコミュニティを取り戻そうと、卒業生たちと立ち上げました。我々も大川小学校では何度かお見掛けしていました。若者たちの活動をこれからも見守りたいと思います。

小さな命の意味を考える会
代表は佐藤敏郎さん。大震災当時は宮城県内の中学校教諭をされていましたが、当時大川小学校6年生の次女を亡くされました。その後会を立ち上げられ、現在は全国各地の学校や地方自治体等で講演活動をされているそうです。只野さん同様、大川小学校訪問時に数度お見掛けしていました。講演、大川小学校での語り部活動で配布されている、冊子「小さな命の意味を考える」は今回訪問した大川震災伝承館で頂いてきました。下記リンクからPDFでダウンロードも出来るそうなので是非ともご一読下さい。

冊子「小さな命の意味を考える」PDF


収支報告書


◆支援金受入口座の入出金明細


◆支援品購入の領収書、納品書
パチンコゲーム用景品一式




スーパーボール、かき氷用シロップ・容器





かき氷用角氷、献花用花束


寿司丼用食材一式



長文と写真が多く非常に長いレポートとなってしまいましたが、以上で2023年8月19日~20日に活動した渋谷組二輪会 第37弾プロジェクトの活動レポートと収支報告と致します。
ここまで長々とお読み頂きありがとうございました。





【  今後の活動について 】

繰越金(余剰金)78,490円の今後の使途についてですが、前述した横尾さんが精魂込めて製作した特大パチンコゲーム機や清野さん製作の2台ミニパチンコゲーム機、中古のものを割安で購入し、まだまだ使える業務用かき氷機等々、渋谷組二輪会にはみなさんからの支援金で購入してきたミニ縁日機材がたくさんあります。

今回、実動部隊で一緒に活動したメンバーには東北での支援活動は今回で一旦終了にしますが、想定外に多額な余剰金と、何よりこれだけ大勢の子どもたちを10年以上に渡り楽しませてきた、横尾さん渾身作のパチンコゲーム機を今後活用しないのは大変惜しく、今後はメンバーの大半が居住している東京都内と首都圏域で、趣旨に賛同し参加頂く各メンバー、特に実動部隊として参加メンバーの時間、身体、経済的な負担が大きくならないよう(参考として石巻の場合は東京からの距離片道400km以上、朝6時に車で都内を出発し約5時間ほど走り到着。ミニ縁日等を2日間開催し翌日の夜に帰着する行程。深夜まで働くメンバーも数名いるため、1~2時間仮眠して出発するのが毎回のようでした。)、不定期開催でミニ縁日を続けるのはどうでしょうかと提案しました。

具体的な開催場所としては現在全国各地に広がり続ける『子ども食堂』などがあります。
また近年持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGsへの取り組みと認識が広がり、SDGsのhttps://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/ 17ある目標のうち、目標1「貧困をなくそう」、目標2「飢餓をゼロに」、目標3「すべての人に健康と福祉を」の3つの目標達成に関連する取り組みでもあり、子ども食堂へ支援を始める企業や団体も増えていると聞いています。

私が仕事の一環として4年ほど前の2019年7月に、ある地方都市の百貨店内で子ども食堂が出来ないかと企画案を作成した際の企画書の冒頭には、

『 今、日本では約7人に1人の子供(17歳以下、およそ270万人)が『相対的貧困』の状態にあると言われています。日本における貧困は食べるものにも事欠くような絶対的貧困とは異なり、社会の中で普通とされる機会が得られない、一見すると判りにくい相対的貧困です。その為多くの子供達が豊かに生活できるようになる中で見過ごされてきたのが現状です。家族団らんの食卓や友達と塾通いといった、ごく普通にと思われることが叶わず、孤食、教育格差等、また近年頻繁に報道されている育児放棄、虐待等、日本の一部の子どもたちの現状はもはや看過出来ない状況にまで来ていると思われます。』

と書かれていました。現在は子どもの貧困率は低下し続け、4年前に調べた時点では(2018年厚生労働省国民生活基礎調査)14%(17歳以下、約7人に1人)だったのが、2021年では11.5%(17歳以下、約9人に1人)に低下しました。今年の4月1日にはこども家庭庁が発足し、日本政府によって少子化対策や子どもの貧困率低下に力が注がれていくことでしょう。

参考資料「子どもの貧困率」はなぜ下がっているのか?

しかしながら、現実の子ども食堂の運営状況を調べてみると、約42%の運営者は本当に支援が必要な家庭の子どもや、親に来てもらうことが難しいと感じているそうです。
国及び地方公共団体による子供の居場所づくりを支援する施策も数多くありますが、財政支援のみが目立ち、上記の通り根本的な解決には至っていないのが実情のようです。

子ども食堂の役割は子どもの居場所づくりを中心とした食堂だけではありません。地域コミュニティづくり、高齢者1人世帯の見守り等々、我々が東北での支援活動当初より掲げたスローガンである、お互いの顔が見える直接支援、支援対象は子どもたち中心とし、子どもたちを笑顔にしよう!と同意義であり、仮設住宅やその後の復興団地・住宅での活動では新しい地域コミュニティづくりの一助となればという理念からも活動を継続してきました。

依って、子ども食堂こそ今後我々渋谷組二輪会が活動をする場として最もふさわしいと考えます。しかし子ども食堂へのアプローチはまったく白紙の状態ですし、もちろん各メンバーへはこれから活動継続の趣旨を説明をし、ご賛同頂くことが大前提ですので、ミニ縁日をはじめとする我々の活動がいつ再開できるのかは未定です。
半年後なのか、それとも1年後になるかもしれません。
繰越金(余剰金)78,490円の使い道は活動再開若しくは使途をメンバーで協議し決定するまで、管理人の私が責任を持って管理させて頂くことをご了承頂きたくお願い申し上げます。


渋谷組二輪会
管理人
玉井 一由

追記 
渋谷組二輪会メンバー各位に向けての補足として、今後の活動の場として提案した子ども食堂のおおよその規模ですが、Facebook等SNSでこの数年いくつかの団体の活動を注視してきました。開催時の来場者数は20~30名程度で大規模な子ども食堂でも100名には届いていないと記憶してます。かつて我々が訪問していた東北の大規模仮設住宅や熊本市内の小学校などで、来場者数が200~300名になるのとは違い、至って小規模な運営をされている所が多いようです(地域コミュニティに根付いた支援をしているため)。開催日程は週1回や月1回など各運営者ごと様々ですが、今後の我々の活動は不定期開催にしようと考えているので、子ども食堂に来場する子どもたちが、我々が来るのを心待ちにしてくれるような活動が出来るようになれば、地域コミュニティづくりの一助になるのではないかと思われ、我々もまた有意義な活動が出来るものと考えます。

結果、支援品や景品等も従来のように大量に用意する必要もなく、活動経費、長い移動時間や移動経費、手間等々は従来の支援活動の半分以下で収まると予想しています。また、長きに渡りみなさんから募ってきた支援金額も出来る限り少額とし、民間で運営の多数ある子ども食堂ネットワークやフードバンク等々との連携を模索し、例えば子ども食堂ネットワークに登録している子ども食堂に対し、我々の支援を必要としている子ども食堂をマッチングしてもらう、フードバンクに登録している企業や団体から景品用のお菓子を協賛して頂く、少し調べただけでも数々の連携策が出てきます。

今後の活動継続にあたっては各メンバーの身体的、金銭的負担も軽減して、より長く継続的な活動が出来るよう努めたいと思っています。子ども食堂運営者にはまだ何のコンタクトもしていないですが、4割以上の運営者が本当に支援が必要な家庭の子どもや、親に来てもらうことが難しいと感じているとのことなので、我々が10年以上培ってきたミニ縁日を活用して頂くことで、支援の手が地域コミュニティの中で広く届くようになるのではないかと考えています。

以下の記事が子ども食堂とは何か、簡単にわかりやすく書いてあります。

参考資料

農林水産省 こども食堂と連携した地域における食育の推進


上記サイトで参考となる一部のPDF資料

子ども食堂の運営実態(PDF)

子供食堂と地域の連携状況(PDF)


全国こども食堂支援センター むすびえ

こども食堂サポートセンター








0 件のコメント:

コメントを投稿